先日 (2020年1月13日) 、かつて明治時代に京都府のJR加茂駅からJR奈良駅を結んでいた通称「大仏鉄道」の廃線跡を歩いてきました。
今日は、100年以上前に廃線になり、開業後わずか9年で廃線となった「大仏鉄道」の遺構の見どころをご紹介します。
コースの全長は11キロ程度で、お昼からスタートしても夕方には十分戻って来られるハイキングコースなので、もしこの記事が参考になりましたらぜひ一度足を運んでみてください。
大仏鉄道とは
「大仏鉄道」は、今から100年以上前に現在のJR西日本・関西本線の前身である私鉄・関西鉄道(かんせいてつどう)株式会社が京都府の加茂と奈良県の東大寺大仏殿を結んで走っていた列車の愛称です。加茂と奈良を結んだその路線の距離はわずか9.9キロでした。
明治31年(1898年)4月の開業後、終着駅の大仏駅は東大寺大仏殿の最寄り駅として栄えていきました。翌年(1899年)5月、終着駅だった大仏駅から奈良駅まで路線を延長し、奈良駅との乗り入れを果たすと、観光の拠点は大仏駅から奈良駅へと移っていきました。
そして開業から9年後の明治40年(1907年)8月、加茂駅から木津駅を経て奈良駅へと至る平坦なルートが開通すると、急な坂の難所を抱える大仏鉄道は休止となり明治40年11月に廃線となり、営業期間わずか9年の短い歴史に幕を下ろしました。
営業していた期間が短く、また当時の資料も乏しいことから「幻の大仏鉄道」と呼ばれています。
路線跡には隧道(ずいどう:川の水や人を通すためのトンネル)や橋台(橋の上部構造の両端を支える基礎)などの遺構がところどころに残され、100年以上前の姿が今も残されています。
(大仏鉄道パンフレットより)
今回のハイキングルート
今回はJR加茂駅からスタートして、こんなルートを歩いてきました。
JR加茂駅
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SL C5756車両の展示
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観音寺橋台
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鹿背山橋台
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梶ケ谷隧道
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赤橋
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松谷川隧道
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黒髪山トンネル跡
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大仏鉄道記念公園
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奈良駅
総距離と所要時間
今回のルートは総距離約11キロです。
歩き始めてからの所要時間は2時間15分でした。
休憩を長めに取ったとしても3時間あれば十分歩けます。
「大仏鉄道」遺構の見どころ案内
今回は加茂駅から奈良へ向かって歩くことにしました。
奈良駅前に車を停めて、まずJR奈良駅から加茂駅まで電車で移動しました。
電車の所要時間は14分でした。
それにしても奈良駅の旧の駅舎は趣があります。
奈良駅から加茂駅までは3駅。
加茂駅の改札を出ると、通路には大仏鉄道の小さな案内板がありました。駅の周りは何もない田舎の風景なのですが、駅前だけは発展しているようで、駅前ロータリーには大きなマンションがありました。
ロータリー側から出てハイキングスタートです。
実はロータリーの端にモニュメントがあったようなのですが、見落としてスタートしてしまいました。
駅からスタートして間もなく、まずは最初の立ち寄りポイント、SLの展示が現れます。
C5756(愛称:貴婦人)の展示
C5756という型式のSLの展示がされています。ニックネームは貴婦人。昭和47年(1972年)6月に大仏鉄道の軌道を通って現在の地に運ばれました。
ここからは、道路に表示される案内板を頼りに歩いていきます。次は、「田園風景を楽しむコース」を通って、観音寺橋台へ向かいます。
「田園風景を楽しむコース」なんてなかなかポジティブな書き方です。言い方を変えると「ひたすら何もない風景」です(笑)
でも、歩いていると気持ちいいです。
しばらくこの田んぼ道を歩いていくと、一つ目の遺構、「観音寺橋台」が見えてきます。
観音寺橋台【かんおんじきょうだい】
観音寺橋台は、大仏鉄道の急な高低差を緩和するために作られた石造りの橋台です。
現在も利用されているJR関西本線と並んで位置しています。
下の写真、手前側がJR関西本線、奥に見える橋台が観音寺橋台です。
かたや現役の路線、もう一方は100年前の廃線跡というコントラストが味わい深く感じます。
続いて、次のスポット「鹿背山橋台」へ向けて歩きます。
看板を頼りに竹藪に囲まれた道をひたすら歩きます。
竹やぶの細道、ぬかるんだ道、分かれ道を抜けて進み続けます。
しばらくすると右手に鹿背山橋台が見えてきます。
鹿背山橋台【かせやまきょうだい】
石積みの橋台。水路の湿気を受けて艶やかに光る橋台に魅了される人も多く、遺構の中でも人気のスポットなんだそうです。
続いて、次のスポット「梶ケ谷へ隧道」向けて歩くとすぐ横にゴルフ場が出現します。この「美香ノ原カンツリークラブ」の横を通り抜けて進んでいきます。
梶ケ谷隧道【かじがたにずいどう】
花崗岩の石積の上にアーチ状にレンガが組まれています。
100年以上前の技術の高さが伺えます。
梶ケ谷隧道をくぐるとすぐに赤橋が現れます。
赤橋【あかはし】
赤レンガ作りが多いのに、なぜかこの橋だけが赤橋と呼ばれています。
そしてなんとこの狭い橋の下を自動車が通っていました。
橋の上部の切り石は、長辺と短辺を交互に組む算木積みという技術で橋の強度を堅固にしているんだそうです。
ここから先は、道が開けてきて歩きやすくなってきます。
住宅地と公園もあり、公園にはトイレも設置されているので、ハイキング途中の休憩スポットにもなります。
公園には大仏鉄道の説明と、モニュメントとして線路と枕木が埋め込まれていました。
住宅地からふたたび山道に入りますが、道幅は広く自動車の往来もあり、生活道路として使われている道でした。
山道を抜けると、ここら先は道が一気に開けていきます。コンビニやショッピングセンターもあります。大きな通りは京都府道44号奈良加茂線という道路になっています。
松谷川隧道【まつたにがわずいどう】
この隧道は 府道44号の下にあり一見すると見落としてしまいそうなところにあります。
現在はフェンスが張られていて中に入ることはできません。
フェンス越しに中の様子を撮ってみました。
黒っぽく見えるのは「焼すぎレンガ」で、赤レンガよりも高温で焼かれていて普通のレンガよりも強度が強く、それが交互に配置されているんだとか。
用水路の真ん中に突起がありますが、当時はここに橋を架けて、上部は通路として、下部は農業用用水路として使われていたそうです。
鹿川隧道【しかがわずいどう】
写真は道路から下の用水路を撮影したものです。農業用水路の目的で作られた石積の隧道で、現在も利用されていますが見学はできなくなっています。
ここから先は、ひたすら奈良へ向かって歩くのみです。
しばらくすると「黒髪山トンネル跡」が見えてきます。
黒髪山トンネル跡【くろかみやまとんねるあと】
名前こそトンネル後とありますが、現在はトンネルの面影はありません。
当時86メートルのトンネルがあったそうですが、道路拡張に伴い山が切り崩され現在の形になりました。トンネルだった道路の上には橋がかけられ、現在も歩道橋として使用されています。
古い写真によるとこれが当時のトンネルだそうです。
黒髪山トンネル跡を過ぎると、あとは最終「大仏駅」を目指します。
鴻池の陸上競技場を横目に坂道を下りていきます。
しばらく坂道を下ると交差点に案内表示がでてきますが、これらの看板には「大仏鉄道記念公園」の表示はありません。平城宮跡方面へ右折して、しばらく道なりに進みます。
歩道の幅が狭いうえ、自動車の通行量も多いので少し歩きにくいです。
奈良総合庁舎を右手に見えたところで左折し、住宅街の中を抜けていくと「大仏鉄道記念公園」が見えてきます。
大仏鉄道記念公園【だいぶつてつどうきねんこうえん】
当時の大仏駅の跡地に平成4年に整備された公園です。敷地内には機関車の車輪がモニュメントとして飾られています。
当時、ここが東大寺大仏殿への最寄駅で、伊勢や名古屋方面からの参拝客で賑わっていたそうです。
船橋通り商店街を抜ければあとゴールのJR奈良駅までは残りわずかです。
船橋通り商店街は、近鉄油阪駅があった昭和期は大変栄えた商店街だそうです。
今も通りにはお店が並びその面影があります。
JR奈良駅(ゴール)
最後はまたJR駅へ戻ってきてゴールです。
まとめ
今回は、まぼろしの鉄道路線、「大仏鉄道」の廃線跡をたどるハイキングコースの見学ポイントをご紹介しました。
3時間以内で歩くことができて、距離も11キロとそれほど大きな負担もなく歩くことができます。機会があればぜひ一度足を運んでみてください。
大仏鉄道跡に行く前に、奈良市観光協会のサイトで「幻の大仏鉄道遺構めぐりマップ」を事前にダウンロードおくかパンフレットの画面をスクショしておくと便利です。
→幻の大仏鉄道遺構めぐりマップ
この記事が少しでも参考になれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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